大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和47年(う)2209号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人横山正一の控訴趣意書に記載されたとおりであるからこれを引用する。

控訴趣意第一点について。

論旨は要するに、道路交通法第七二条第一項前段にいわゆる「交通事故」は過失による人の死傷または物の損壊を指称し、本件のように故意をもつて自動車を利用して他人に傷害を負わせたというべき場合はこれに該当せず、従つて救護等の義務違反の罪は成立しないものと解すべきか、或は傷害罪に吸収されるものと解すべきであるから、本件につき救護等の義務違反の罪の成立を肯定した原判決は法令の適用を誤つた違法を犯したものであるというのである。

しかして原判決は罪となるべき事実として、被告人は、昭和四六年八月一日午前零時三〇分ころ、東京都渋谷区宇田川町二七番四号先道路において、運転中の普通乗用自動車を佐賀胤文運転の普通乗用自動車に衝突させて同車を損壊する事故を起したのに、報告義務を尽すことを怠たり(第一)、前記自動車を運転して逃走中、間もなく同町二九番二号先道路において一時停止した際、被告人車両を追いかけてきた相手車両の同乗者佐賀有子(当時二一年)から前記事故についての話合いのために降車を求められるや、とつさにその場から逃走しようと決意し、同女が自車助手席左側のドアの取つ手を握つているのを無視して発進し、同町二九番八号先交差点を時速約三〇キロメートルで左折したため、同女が左片手で前記取つ手を握り車体に接触してぶらさがつているのを知りながら、時速約四〇キロメートルに加速して同町三六番四号先路上まで約二〇〇メートルの間走行し、同所において同女を路上に転落させ、よつて同女に入院加療約一か月間を要する原判示の傷害を負わせ(第二)た旨認定した上、第三事実として、前記第二記載のように、運転中の前記自動車から佐賀有子を転落させて傷害を負わせる交通事故を起したのに、直ちに運転を停止して同女を救護し、道路における危険を防止する等法律に定める必要な措置を講じないで逃走した事実を認定し、右救護等の義務違反の点につき道路交通法第七二条第一項前段、第一一七条を適用し、これと前記報告義務違反(第一)、傷害(第二)とを併合罪として処断していることは判文上明らかである。

そこで本件につき傷害罪のほか救護等の義務違反の罪の成立を肯定した原審の判断の当否につき考察すると、原判決挙示の関係証拠によれば、原判示第二の傷害の犯行は、被告人車両の連続した運転行為の過程において発生したもので、当時被告人は最初から佐賀有子に対し、自車の運行を手段として傷害を負わせることを意図したのではなく、判示第一の物損事故を惹起し、現場から自車を運転して逃走する途中において、被告人の降車を求め、被告人車両のドアを握つている同女に対し傷害の故意を生じたことを肯認することができる。従つて本件傷害は、道路交通法第七二条第一項前段にいう「車両等の交通による人の死傷」に該当するものというべきである。ところで、同条項の規定する「直ちに車両の運転を停止して、負傷者を救護し、道路における危険を防止する等必要な措置を講」ずべき義務、すなわち救護等の義務は、負傷者の保護という当然の要請のほか、同法の目的とする「道路における危険を防止し」、「交通の安全と円滑を図り」、「道路の交通に起因する障害の防止に資する」(第一条参照)ために道路行政上の要請から当該車両の運転者その他の乗務員に課せられたものであつて、この観点に立てば、救護等の義務は、負傷の結果が前記条項にいう「車両等の交通」により生じたものと認められる限り、原因行為につき故意過失の有無を問わずこれを課する必要があるものというべきであり(原判決引用の各判例参照)、しかもその必要性については、故意ある場合と過失ある場合との間に質的相違があるとまでは認められず、また救護等の義務違反の罪と傷害罪とは保護法益および構成要件を異にするから、後者の罪が成立するからといつて、前者の罪がこれに吸収されるいわれはない。以上の説示にてらせば、本件のように、自動車を運転中、そのドアを握つている被害者に対し、傷害の故意をもつて同人を転落、負傷させた場合においても、それが前述のように前記条項にいう「車両等の交通」による負傷に該当する以上は、直ちに車両の運転を停止して、負傷者(被害者)を救護し、道路における危険を防止する等必要な措置を講ずべき義務を免れるものではないと解するのが相当である。しかるに被告人は、これを怠りそのまま逃走したものであるから、傷害罪のほか道路交通法違反としての救護等の義務違反の罪をもつて問擬されるのは当然といわなければならない。しからばこれと同趣旨の見解のもとに、傷害罪に救護等の義務違反の点が吸収されないとして、本件につき同条項を適用処断した原審の判断は、結局正当として是認すべきであり、所論のような法令の適用の誤りはない。所論はこれと異なり、同条項は過失犯による死傷の場合の救護等の義務を規定したものであるという見解を前提となすもので、既にこの点において採用できないのみならず、救護等の義務違反を前述のように解することは、前に説示したとおり、当該傷害の結果が車両等の交通により発生したことを前提とするものであるから、所論のように、およそ道路上におけるすべての傷害行為について救護等の義務があるとされなければ法律上不公平な扱いとなるなどと主張するのは失当といわざるをえない。論旨は理由がない。

同第二点について

論旨は量刑不当の主張である。

しかし記録により認められる本件各犯行の罪質、動機、態様、とくに原判示第二の犯行は、自己の酒気帯び運転と物損事故による処分を免れるため逃走を企て、被告人の降車を求めて被告人車両のドアの取つ手を握つている被害者を引きずり、時速約三〇キロメートルないし四〇キロメートルで約二〇〇メートルの距離を走行することにより被害者を路上に転落させた結果、入院加療約一か月間を要する傷害を負わせたもので、その犯情は悪質であることのほか、被告人は業務上過失傷害、道路交通法違反罪による罰金前科七犯を有することなど諸般の情状にてらすと、その刑責は相当に重く、被害者と示談が成立したこと、被告人の反省悔悟の情など被告人に有利な諸事情を参酌しても、原審の量刑はやむをえないものであると認められる。論旨は理由がない。

よつて刑事訴訟法第三九六条により本件控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。

(石田一郎 菅間英男 柳原嘉藤)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例